大学の教員・職員へのみち

医療系大学の人事が見た教員・職員になれる人、なれない人

看護系大学崩壊の序曲か

どうやら看護学生の就職が一部地域で苦戦し始めているようだ。

 

合格率の低い大学の学生が内定を取れなくなっているらしい。

 

しかも大学の地場の大病院から断られ始めているようだ。

 

ほんの数年前なら、多少成績が悪くてもとりあえず内定を出していたのが看護の世界だった。

 

様相が様変わりし始めている。

 

やはり診療報酬改定が響いているとしか考えられない。7対1基準の厳格化を諦めた病院が看護師を必要としなくなり、人があまり始めていると考えるべきだろう。

高学歴な理学療法士養成の大学教員

医療系の中でも、いわゆるリハビリ系のPT、OT、STの大学教員になるにはどうすればいいだろうか。

 

まずはPT、つまり理学療法士を目指す大学教員になるにはどうするか。

 

まずは博士号を取らないと、ほぼ話にならないことを認識した方がいい。

 

OTやSTはそこまでではないが、PTは協会あげて学位の取得を推奨しているように見える。結果として、PT教員は高学歴が多い。

 

OTやSTとは違って、どちらかというと体育会系のノリのPTが高学歴なのは意外な気がする。助教クラスですら大半は博士を持っている印象だ。近年、さらにその傾向が高まっているように思える。

 

しかも、当然のように臨床を続けながらである。これはPTの世界では当たり前の事のように思える。

 

なので、まずは博士を取るのを最優先にするのがいい。

 

ところが、OTやSTとは異なって、専門領域があまり問われない。ここが不思議なところで、結果的に運動器の専門家が固まったりする。スポーツトレーナーを志してPTの道を歩む人も多いので、当然の結果だが、今後はそうはいかないと思われる。専門領域ごとに分かれて行くことになると思う。

 

狙い目の専門領域を見つけるのは難しいが、ホットなのは、医療工学系である。例えばHALのような介護支援ロボットのリハビリへの応用である。工学の知識が問われるので、専門家が少ない。今なら重宝がられる分野である。

 

その他では循環器系のリハビリも注目度が高いように思える。この領域も人材が少ない。

 

少なくとも、3次元動作解析での研究は最先端の研究ではなくなり、これをベースにして次のステップへ進み始めているようだ。時代遅れにならないように研究を続けるにがPT教員には必要だ。

 

またOTやSTは臨床現場で相変わらず不足気味だが、PTは充足し始めているので、PT教員をめざすなら潰れそうにない大学を選ぶべきである。この点は看護と同じといってもいい。

 

それとPTの公募は意外と少ない。これはPTに限ったことではなく、リハ系の傾向かもしれない。公募ではなく、指導教官などからの声がけが多いようだ。

内定を辞退するか、受けるか

夏になると、次年度の教員採用が本格的に動き始める。医療系、特に看護教員は突如退職を宣言するので、後手後手に回ることが多い。とはいえ、毎年の風物詩なので慣れてしまったが…

 

さて、

 

採用が順調に進むと、内定が出るわけだが、ここで一つの選択を迫られる。このまま受けるか、それとも断るかだ。

 

教員から教員に移る場合は折り合いやすいのだが、臨床から移ってくる場合は、折り合わないことがある。断られる理由として多いのが、現職給与との差である。臨床から移ってくるときには、特に差が大きく出やすい。下がるのである。

 

提示される給与額は、教員としては決しておかしくない額であるのだが、実際に下がるとなると考えてしまうのは当然である。

 

ここで選択に迫られるのである。

 

どのような選択をするのかは本人の自由なのだが、多くの採用に関わってきた身としては、教員になりたいなら、多少条件が悪くなっても、目の前の内定に飛びつくことを勧める。

 

理由は簡単である。

 

貴方でなくても、教員になりたい人は山ほどいるので、採用する側としては辞退されようが全く構わないからである。辞退されれば、次の人に行くだけである。

 

辞退を受けるたびに思うのは、この人は、教員とは縁がないのだな、それほど教員にはなりたいわけではなかったのだな、ということである。

 

教員になるチャンスは、そんなには巡ってこない。数少ないチャンスを逃すのは、まさに幸運の女神に逃げられるようなものだ。

 

辞退する人の心理としては、今回内定もらえたから、次もどこかでもらえるだろう、というものだろう。

 

ここに大きな勘違いがある。

 

繰り返しになるが、教員になりたい人は山ほどいる。

 

臨床から教員に移る時は、競争相手が多いと思った方がいい。相手は既にどこかの大学で教員をしている人かもしれないし、研究業績が自分より多い人かもしれない。臨床にいながら、着実に研究業績を積む人は多い。

 

そうした競争相手を差し置いて、内定を勝ち取ったのだから、こうした勘違いが生まれるのは理解できる。

 

だが、

 

大きな勘違いである。

 

よほど優秀であれば、次のチャンスが巡ってくるかもしれないが、ほとんどの人にとっては、二度と巡ってこないチャンスである。

 

特に若手であればあるほど、失ったチャンスの大きさに後になってから気づくだろう。今回は条件が合わなかったけど、内定まで出たんだから、どこかでまた内定が出るだろうと思って、アプライしても、全然引っかからない、という現実を目の当たりにすることになるはずである。まさに幸運の女神に見放された瞬間である。

 

若手は業績がないのが当たり前で、経験もないのも当たり前なので、採用する側からは優秀かどうかが全くわからない。海のものとも山のものともしれないので、可能性だけを見るしかない。

 

それゆえ、内定が出るということは、ほぼ運命のいたずらに近い出来事であるのだ。だからこそ、それに逆らって辞退をするということは、幸運の女神に見放されるのと同じことになる。

 

若手が辞退してきた時は、引き止めることはしない。これが教授クラスのベテランなら引き止めることがある。両者の違いは明白であり、こちらの対応も明らかに違うのが当たり前。

 

チャンスを振った若手に再びチャンスが訪れるのは、十分な業績と経験を積んだ何十年後か先になるかもしれない。

 

だから、教員になりたいになら、とにかく目に前にぶら下がったチャンスを掴むことである。

履歴書は指定された通りに出そう

履歴書、研究業績書などの応募書類は、大学によって異なる。

 

フリーのところもあれば、文科省への設置申請/届出の際に使用するフォーマットを指定する場合もあれば、その大学独自の指定のものもある。

 

おそらくフリーのところはほとんど無く、文科省書式で可としているところが多いのではないだろうか。

 

だが、あの書式は正直見にくい。というのは、あの書式は、文科省での審査用のものであるから、用途が特殊なのだ。だから、大学によっては、別様式を指定する。

 

この独自の書式を指定しているというのがミソである。その大学の採用に対する意図があるからである。

 

それを無視して、独自のフォーマットで提出する候補者や、文科省書式で提出する候補者がいる。

 

ほとんどの候補者は、当然指定されたもので提出をするので、違う様式で提出されると、ものすごく目立つ。もちろん悪い意味でだ。

 

人事担当者として、そうした悪い意味で目立つ書類をどう見ているかというと。

 

完全オリジナルの書式で提出してきた場合は、その候補者は、協調性がないか、社会性がないか、理解力が欠如していると見る。いずれの場合も、教育者としては、欠点なので、この時点でアウトとなる。

 

指定の書式ではなく、あえて文科省書式で提出してきた場合は、「わたしは大学というものを知っていますよ」、という驕り、高ぶり、傲慢さを見てとる。なぜなら、文科省書式は社会一般のものではないので、自分はそうした一般社会より高尚なところにいるということをアピールできると思っているから、あえて出してくるのだ。担当としてみれば、面倒なタイプの教員だ。大学に入ったら、学務/教務スタッフに、あなたは知らないかもしれないけど、大学というにはねぇ、と恥ずかしい講釈をしてしまいかねないタイプだ。よほど事務スタッフの方が大学を知っていたりするのだがね。先が思いやられるタイプだが、要注意と見るだけで、バツにはしない。

 

結局は、指定の通りに提出した候補者が、いわば、まとも、ということで安心できる。

 

人事担当者はそう見ていることを覚えておいてもらいたい。

見極めが必要だが、看護バブルが弾けそうだ

一部の地域で看護師が充足しつつあるようだ。

 

診療報酬改定の影響だろうと思われる。7対1基準の厳格化により、基準の維持を諦めた病院が出てき始めているのかもしれない。もしそうなら、以前の診療報酬体系に戻らない限りこの流れは確定なのかもしれない。 国に財源がない中、元に戻るとは考えにくいのだが…。

 

とはいえ、今年限りの現象かもしれないので、確定はできないが、公立病院が看護師の採用を関連の学校に限定したらしく、その病院への就職を当てにしていた学校が慌てているらしい。

 

公立病院が看護師の採用を抑制したということの影響は大きい。なぜなら、その地域の公的医療機関全体の傾向の可能性があるからだ。

 

就職担当にとっては青ざめて冷や汗が出る出来事である。

 

いつかは必ず訪れる看護師の供給過剰の時期がもうすぐそばに見えてきているのかもしれない。

 

すると、当然にことながら、近年の看護師の養成校の乱立に終止符が打たれるかもしれない。

 

乱立の果てにできた学校からの卒業生が来年頃から大量に市場に供給されるが、需給バランスが適正なのか、誰にもわからない。

 

看護師の就職難という問題が出てくることになるのかもしれない。

 

そうなると、当然供給する側の学校も余剰になるわけで、教員も余剰になるという理屈になる。

 

さて、どうなるか?この2〜3年で傾向が見えてきそうだ。

 

看護系大学・専門学校の生き残りをかけた活動が本格化するのだろう。

 

個人的な予想として、生き残るのは附属の専門学校、もしくは臨床施設との結びつきの強い学校が生き残る。専門学校はこうした形態が多いので、それなりに生き残るのだろう。大学もそうした系統の大学が有利。

 

それと地方部の看護系大学・専門学校も生き残るのだろう。

 

危険なのが、臨床と縁が薄い都市部の大学・専門学校。就職難となれば、一番弱い立場の学校群である。志願者は激減しないだろうが、就職の斡旋に力がないから、徐々に志願者数を減らしていくことになり、回復することはない。

 

看護師の就職難となると、一時的に地方部の学校は苦戦を強いられるだろう。学生は都市部を指向するからだ。

 

だが就職難になると、真っ先に埋まるのが都市部の臨床施設であり、空きが出るのが地方部の臨床施設になる。

 

都市部出身の学生にとって地方部は魅力的でなく、結局、地方部の臨床施設に戻るのは、その地方部出身の学生だけ。

 

となると、あえて都市部の学校に通わせるインセンティブもなくなり、時間はかかるかもしれないが、地方部へ学生の進学が回帰する。

 

ということで、生き残るのは前述の通りの学校群になるのではないかという予想だ。

医療系大学の中で看護系教員になるのが最も簡単だ。なぜならバブルだからだ。

看護系大学の教員になるのは簡単

医療系の大学の中でも、いや、全大学の中でも、最も簡単に大学教員になるれるのは「看護系」の大学教員である。

 

 

まず、大学の教員になるのであれば、知っていて当然のサイトJREC-INで、看護系の公募を調べてみればいい。

他の学際領域・学問領域に比べて圧倒的に求人が多い。

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医療系の大学は百花繚乱

大学の約1/3に看護学科があると言われ、さらには40年ぶりの医学部新設が続き、新設の大学、学部、学科の半分は医療系という昨今、医療系大学はまさに百花繚乱の様相である。

 

このことが良いとか悪いとかの問題ではなく、そうなっているという事実と、社会の要請がそちらに向かっているということの証左に他ならないだけである。

 

裏を返せば、今後社会の要請が変われば、医療系大学は減っていき、別の領域が台頭していくだけのことである。

 

医療系大学にとっては、まさに今は我が世の春であるが、我が世の春を謳歌していると、足元で蠢く変動に気がつかず、取り残されていくのは、一般企業だけに限らず、大学も一緒である。

 

間近に迫る変動は2018年問題であろう。18歳人口が再び減少に転じ始める 年として大学関係者には、よく知られる。

 

この年を皮切りに淘汰されていく大学が出てくるかもしれない。淘汰される大学は、その役割を終えただけの場合もあるだろうし、経営が行き詰まったための場合もあるだろう。

 

こうしたご時世に、実際の採用現場にいる者が感じている現状と将来の大学像を書き連ねていきたい。