大学の教員・職員へのみち

医療系大学の人事が見た教員・職員になれる人、なれない人

内定を辞退するか、受けるか

夏になると、次年度の教員採用が本格的に動き始める。医療系、特に看護教員は突如退職を宣言するので、後手後手に回ることが多い。とはいえ、毎年の風物詩なので慣れてしまったが…

 

さて、

 

採用が順調に進むと、内定が出るわけだが、ここで一つの選択を迫られる。このまま受けるか、それとも断るかだ。

 

教員から教員に移る場合は折り合いやすいのだが、臨床から移ってくる場合は、折り合わないことがある。断られる理由として多いのが、現職給与との差である。臨床から移ってくるときには、特に差が大きく出やすい。下がるのである。

 

提示される給与額は、教員としては決しておかしくない額であるのだが、実際に下がるとなると考えてしまうのは当然である。

 

ここで選択に迫られるのである。

 

どのような選択をするのかは本人の自由なのだが、多くの採用に関わってきた身としては、教員になりたいなら、多少条件が悪くなっても、目の前の内定に飛びつくことを勧める。

 

理由は簡単である。

 

貴方でなくても、教員になりたい人は山ほどいるので、採用する側としては辞退されようが全く構わないからである。辞退されれば、次の人に行くだけである。

 

辞退を受けるたびに思うのは、この人は、教員とは縁がないのだな、それほど教員にはなりたいわけではなかったのだな、ということである。

 

教員になるチャンスは、そんなには巡ってこない。数少ないチャンスを逃すのは、まさに幸運の女神に逃げられるようなものだ。

 

辞退する人の心理としては、今回内定もらえたから、次もどこかでもらえるだろう、というものだろう。

 

ここに大きな勘違いがある。

 

繰り返しになるが、教員になりたい人は山ほどいる。

 

臨床から教員に移る時は、競争相手が多いと思った方がいい。相手は既にどこかの大学で教員をしている人かもしれないし、研究業績が自分より多い人かもしれない。臨床にいながら、着実に研究業績を積む人は多い。

 

そうした競争相手を差し置いて、内定を勝ち取ったのだから、こうした勘違いが生まれるのは理解できる。

 

だが、

 

大きな勘違いである。

 

よほど優秀であれば、次のチャンスが巡ってくるかもしれないが、ほとんどの人にとっては、二度と巡ってこないチャンスである。

 

特に若手であればあるほど、失ったチャンスの大きさに後になってから気づくだろう。今回は条件が合わなかったけど、内定まで出たんだから、どこかでまた内定が出るだろうと思って、アプライしても、全然引っかからない、という現実を目の当たりにすることになるはずである。まさに幸運の女神に見放された瞬間である。

 

若手は業績がないのが当たり前で、経験もないのも当たり前なので、採用する側からは優秀かどうかが全くわからない。海のものとも山のものともしれないので、可能性だけを見るしかない。

 

それゆえ、内定が出るということは、ほぼ運命のいたずらに近い出来事であるのだ。だからこそ、それに逆らって辞退をするということは、幸運の女神に見放されるのと同じことになる。

 

若手が辞退してきた時は、引き止めることはしない。これが教授クラスのベテランなら引き止めることがある。両者の違いは明白であり、こちらの対応も明らかに違うのが当たり前。

 

チャンスを振った若手に再びチャンスが訪れるのは、十分な業績と経験を積んだ何十年後か先になるかもしれない。

 

だから、教員になりたいになら、とにかく目に前にぶら下がったチャンスを掴むことである。