大学の教員・職員へのみち

医療系大学の人事が見た教員・職員になれる人、なれない人

履歴書は指定された通りに出そう

履歴書、研究業績書などの応募書類は、大学によって異なる。

 

フリーのところもあれば、文科省への設置申請/届出の際に使用するフォーマットを指定する場合もあれば、その大学独自の指定のものもある。

 

おそらくフリーのところはほとんど無く、文科省書式で可としているところが多いのではないだろうか。

 

だが、あの書式は正直見にくい。というのは、あの書式は、文科省での審査用のものであるから、用途が特殊なのだ。だから、大学によっては、別様式を指定する。

 

この独自の書式を指定しているというのがミソである。その大学の採用に対する意図があるからである。

 

それを無視して、独自のフォーマットで提出する候補者や、文科省書式で提出する候補者がいる。

 

ほとんどの候補者は、当然指定されたもので提出をするので、違う様式で提出されると、ものすごく目立つ。もちろん悪い意味でだ。

 

人事担当者として、そうした悪い意味で目立つ書類をどう見ているかというと。

 

完全オリジナルの書式で提出してきた場合は、その候補者は、協調性がないか、社会性がないか、理解力が欠如していると見る。いずれの場合も、教育者としては、欠点なので、この時点でアウトとなる。

 

指定の書式ではなく、あえて文科省書式で提出してきた場合は、「わたしは大学というものを知っていますよ」、という驕り、高ぶり、傲慢さを見てとる。なぜなら、文科省書式は社会一般のものではないので、自分はそうした一般社会より高尚なところにいるということをアピールできると思っているから、あえて出してくるのだ。担当としてみれば、面倒なタイプの教員だ。大学に入ったら、学務/教務スタッフに、あなたは知らないかもしれないけど、大学というにはねぇ、と恥ずかしい講釈をしてしまいかねないタイプだ。よほど事務スタッフの方が大学を知っていたりするのだがね。先が思いやられるタイプだが、要注意と見るだけで、バツにはしない。

 

結局は、指定の通りに提出した候補者が、いわば、まとも、ということで安心できる。

 

人事担当者はそう見ていることを覚えておいてもらいたい。